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髙橋力『風に吹かれて――会津伝道ものがたり』 [読書メモ]

髙橋力、『風に吹かれて――会津伝道ものがたり』 髙橋力、『風に吹かれて――会津伝道ものがたり』、日本基督教団出版局、2012、221頁、2100円。を読んでみた。

名字の「髙」の字は、はしごの高。
(著者の名の読みは「ちから」だが、親しい人は「リキさん」と呼んでいるらしい。)

気になる言葉のメモ(そのままの引用だったり、わたしなりの言い換えだったり)。



 教会のある集会中、牧師の赤ん坊が泣き出したので、牧師は子どもの面倒を見に行った。
 すると、ある信徒が言った。「御言葉を語ることより自分の子どものことを優先させた」。「牧師が御言葉に集中すべき集会の最中に、おむつを替えるなどとんでもない」。

 自分の信仰に熱心になる人ほど、他人に冷たくなる。

 クリスチャンのあるべき論を振りかざしていたその人は、やがて礼拝から遠ざかった。
(p.146あたり)


 牧師には少なくとも10日間の休暇は与えなさい。なぜ10日間か、それは、2回の日曜日の礼拝を他所で守れるからだ。できるだけ日本基督教団ではない他教派の礼拝に参加するのがお薦めだ。異なるものとの出会い、そのような刺激的な体験が牧師に必要なのだということを教会の役員さんたちに認識してもらいたい。
(pp.197-198あたり)


 礼拝マニュアルを時間をかけて創った。単なる順序ではない。司式者、オルガニスト、献金奉仕者等々、スムーズな動きを検討した。聖書朗読はただの読み方ではない。誤読はなく、目を閉じて聞いても分かるように十分に読み込んで準備する。祈りの用語にも留意する。例えばドラマのように語られる一つひとつがメッセージとして繋がり、思いが込められるようにと願いながら仕上げた。
 ・・・礼拝が何であるか、その意味を深める表現が湧いてくるには何回も繰り返して自己吟味が要る。牧師と役員などの礼拝をめぐる議論は尽きることはない。決まりごとに従って礼拝が進めばそれでいいということはない。時には会衆と共に学び直すことが肝要だ。礼拝学という学問が各問として成り立つだけでなく、その礼拝者の人生が主イエスの体として成長するまでに役立てられねばなるまい。
(p.203)


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