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自然災害の意味(6) [信仰]

(6)わたしたちは浅はかでした

 主体的に受け止めるということを前項で述べましたが、被災地や原子力発電所から比較的離れたところにいる者として、どのように考えれば、今の事態を少しでも主体的に受け止めることができるでしょうか。たとえば、この災害を、原子力発電に依存して享受してきた生活への戒めと受け止めることもできるでしょう。

 たとえ、自分の家の電力をすべて自家発電でまかなったとしても、さまざまな工業製品の製造や物流、販売は、電力需要全体に対する原子力発電の寄与に負っています。このパソコンも、このパソコンの先につながっているプロバイダのサーバも、原子力発電による電力供給のおかげです。食品ですら、製造から販売に至るまで電気なしではわたしたちの手元に届かないでしょう。

 すると、今のこの事態を主体的に受け止めるならば、東電の対応や政府の動きを批判するよりも、あるいは、やっぱり原子力は危ないなどといまさらながら原発に反対するよりも、あるいは、津波の高さが想定外だったと開き直るよりも、わたしたちは、原子力発電に依存しなければまかなえないほどの電力需要によって生活を享受してきて「浅はかでした」と言わなければならないのではないでしょうか。
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