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バルト『ローマ書』の序文を読み直す(5) [読書メモ]

(5)ついでに、カール・バルト『ローマ書新解』(川名勇訳、新教出版社、1962)の「序言」から。
あたかも何事も起こらなかったかのように
 「この本の中で、当時〔1940~1941年〕このバーゼルでわれわれも経験した独特の緊迫した状態に気づくことはほとんどないであろう。・・・あの一九三三年のボンにおけるように「あたかも何事も起こらなかったかのように」という決意に、今こそ、はっきりとどまるべきであると固く心を定めていた。」
『ローマ書新解』の「序言」、p.1。

待っている
 「ローマ書の場合、それを学びつくすということはありえない。この意味で(一九一八年の序言でいくぶん偉ぶって表現したように)ローマ書はこれからもなお、「待ち続けている」――そして確かにこのわたしをも「待っている!」」
『ローマ書新解』の「序言」、p.2。

私が理解する限り
 「「私がパウロを理解するかぎり」という制約をつけ加えることをどのような注解者も免れることはできず、私にもできない。私の希望は、昔も今も、パウロが十分力強くあって、いつもなお、またいつも繰り返し、不十分な注解を通してでも、パウロ自身を聞かせるということである。」
『ローマ書新解』の「序言」、p.3。

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