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信仰の継承と家族伝道のために、親子礼拝・家族礼拝を。 (次世代のために その3) [礼拝]

1.
日曜日、親子で教会に来ても、親は大人の礼拝、子どもは子どもの礼拝と、それぞれ別々の礼拝に出席するというケースが多いのではないだろうか。
年に何度か教会学校との合同礼拝と称して行っても、こどもたちは礼拝堂の一か所に固まって座っていて、静かにしているようにと教会学校の先生が目を光らせているというようなことはないだろうか。

 そこで思うのだが、親子が一緒に並んで主日礼拝を守ることはできないだろうか。
家庭での生活を通して親と子それぞれの信仰が養われることも大切だろうが、それ以上に、親子が一緒に並んで主日礼拝を献げてこそ、親の誠実な礼拝の姿勢が子どもに伝わり、あるいは子どもの素直で純粋な礼拝の姿勢が親の信仰を変えることにつながるだろう。
親子が共に主の御前にぬかずいてこそ、その家庭に祝福が注がれるだろう。親と子が共に祈り、共に賛美し、共に御言葉を聞き、共に信仰を告白する機会がなくて、どうして信仰を継承することができるだろうか。

2.
そういうわけで、親と子が一緒に礼拝、あるいは、おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に、あるいは、子どもが成人していてもかまわない、孫もひ孫もいっしょでもちろんOK、とにかく家族みんなが一緒に並んで献げる主日礼拝を、信仰の継承と家族伝道のために行いたい。

 自分の親が教会に来るようにと切に祈っている子どもがいる。

 自分の子が礼拝に出席するようにと切に祈っている教会員がいる。

 夫が妻が救われるようにと涙を流して祈っている教会員がいる。

そういう人たちが、少しでも礼拝に誘える機会を作りたい。さりげなく、「こんどは家族礼拝の日だから、一緒に来てね」と言えるように。

 あるいは、教会学校に子どもを送ってくださる家庭もあるが、親は送り迎えだけというケースもよくある。そういう親も誘いたい。

3.
大人と子どもが一緒に礼拝する方法には、大まかに言って、次の3つのパターンがある。

 a) 最初から最後まで一緒

 b) 前半だけ一緒で、後半は子供たちは退出し、別室で分級。

 c) 途中で子供たちが退出するが、礼拝の最後の部分(献金や祝福)で戻ってくる。

 大人と子どもが一緒に礼拝すべきと主張しても実際はb)やc)などの部分的な子どもの参加に留まっていては、不十分どころか、やっぱり一緒に礼拝することはできないと認めてしまっている。そこには、

 子どもと一緒が可能な部分だけ一緒にするという安易さがないだろうか。

 説教などはやはり大人向けがないと困るという思いがないだろうか。

 1時間以上子どもが礼拝に出席することは困難だと思っているのではないだろうか。

 あるいは、子どもが1時間以上参加できないような雰囲気の礼拝になっていてそれを変えられないでいることはないだろうか。

 そして、b)やc)の場合は、子供たちがすぐに退出しやすいように、礼拝堂の中で子どもだけで固まって着席することになりがちであろう。親と子が並んで礼拝するという形にはなりにくい。

4.
本当に大人も子どもも一緒に礼拝するのなら、親と子が並んで、あるいは、子供たちも自由に礼拝堂の中に大人たちに混じって着席するようにしてはどうか。様々な年代の教会員と子供たちが一緒に並んで礼拝するのである。
家族の中で一人で礼拝出席している高齢者が、他の教会員の子どもと並んで礼拝し、子供たちは自分の祖父母よりも高齢の方と並んで礼拝する。子育て奮闘中で疲れ果てている方と、子育てを一段落した方とが一緒に礼拝して、支え合う。高校生・大学生の若者が、普段接することのない高齢者や幼い子どものために聖書や讃美歌を開いてあげる。・・・

 礼拝の最初から最後まであらゆる世代が一緒に礼拝したい。家族全員が、そしてあらゆる世代が、共に祝福を受け、共にキリストの恵みを携えて、世に派遣されていくのである。

(2010年7月26日初稿、2010年8月12日加筆修正)

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